お母さんにありがとうの気持ちを伝えるはずの娘が逆にハメられた?
家族の温かさに触れるMOVIE公開中!

MESSAGE FOR MOM

5月8日の母の日にちなみ、
お母さんに伝えたい感謝のメッセージを集めました。
当時を回想しながらお母さんに言えなかった気持ちをピックアップ
思い返すきっかけになってもらえるといいですね。


Episode

夏休みに父、母、妹家族とともに長野旅行へ。上高地では曇り空でガイドブックに載るような山々の景色は眺められなかったけど、自然のミストをたくさん浴び、母もおおはしゃぎ!!久しぶりに家族が揃った楽しい時間。かなりの珍道中でしたが、四姉妹のように母も楽しんでいました。

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洋裁や編み物が大好きな母。小さい頃、いつも姉とお揃いで手作りの服を着せてくれました。85歳の今も健在で家事をこなしてくれています。長生きしてね。

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現在は高齢になって、外に出かけることもほとんどなくなってしまいましたが、母が60代の頃は、近くで行われる淀川花火大会に毎年一緒に出かけていました。母の作ってくれたお弁当を食べながら、綺麗な打ち上げ花火に感動したとても楽しい思い出です。さすがにふたりとも、若いです。笑

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母は困っている人を見たら放っておけない性格です。スーパーに行って迷っているお客さんがいれば、売り場まで案内しますし、店頭のディスプレイを整えたりと店員顔負けの接客をしています。若い頃は反抗したり恥ずかしい時期もありましたが、今ではとても尊敬しており、自分もそういう人になりたいと考えています。なんでも相談でき、頼れるお姉さんのような母が私は大好きです。

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あまりおしゃれをしない母ですが、母の日にお洋服を買って実家へ送ってあげました。それから実家に帰った時は嬉しそうに着てくれています。

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私が大学を辞めたいと言った時、私のことを一番に考え一緒にたくさん悩んでくれました。その時、お母さんが「大学は卒業させてあげたい。出ないと私たちが後悔をしてしまう。」と私のことを思ったひとことのおかげで、無事に卒業でき、どうしても入社したかった会社に入り、毎日楽しく過ごすことができています。

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私が3歳になった時に家族で鳥羽水族館へ出かけました。そこで初めて迷子になったのですが、日頃からお母さんが住所と名前をしっかり言えるように教えてくれていたことで、無事にアナウンスしてもらい、迎えに来てもらうことができました。お母さんに会えた時に、すごくホッとしたのを今でも覚えています。

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いつもお世話になっている、私の第二の心の母。 いつも仕事の相談に乗ってくれ、元気がない時は食事に連れて行ってくれたり、ご飯をつくってくれたり、お誕生日のお祝いをしてくれたり、いつもいつもありがとう。感謝しています。 この写真はママのお誕生日にヒルトンでお祝いをした時の写真です。

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いつも「お兄ちゃんやから」と口癖のように言われていた記憶が。。。。 でも今思うと、頼りにしてくれていたのかな?今やったら少しは頼りにしてもらえたかもしれませんが、4年前に亡くなって頼ってもらえなくて残念です。

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母に旅行をプレゼントして、私が社会人初めてのプレゼントとして母の日に送りました。初めてのお給料でプレゼントしたので、今までの感謝の気持ちを込めました。

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私が小さい頃は、色々な場所に連れて行ってくれました。その度に、レースなどひらひらの可愛い洋服を着せてくれていました。そして母の愛情がたくさん詰まった手作りのお洋服もたくさんあり、母とお揃いの服や妹とお揃いの服を作ってくれ、いつもおしゃれに気を使ってくれていた母。いつも手作りのお洋服を作って着せてくれ、ありがとう。お揃いのお洋服、いつも嬉しかったです。

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私が高校生の頃に母からもらったネックレスです。数年前に父から母へプレゼントしたもので、私に譲ってくれました。私はこれをもらった時に、大切な人へのプレゼント選びのお手伝いがしたい、自分が母から大切なものを受け取った時のように、受け継がれるものを取り扱う仕事がしたいとジュエリー業界に興味を持ちました。私はこれを大切な時には必ず身につけていき、就職活動時にもつけ、このエピソードを話し、採用していただけました。これがなければ私がこの業界を目指すこともなかったです。こういうきっかけがあったから、今の私があると思います。

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大人になってから、泊りがけでの旅行になかなか行けなかったのですが、母がずっと行きたいと言っていたディズニーランドへやっと行くことができました。天候はまさかの台風でしたが、紙が風に舞い上がっている中での写真など、普段とは違う体験もでき、笑える思い出が増えました。 旅行で改めて母の優しさや、一緒に過ごす時間の大切さを感じ、これからは1年に1回は母との旅行で特別な思い出を増やしていきたいと思います。

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今では普通かもしれないですが、当時母が23歳の時の子供で、授業参観に来てくれるお母さんは、まわりの同級生のお母さんよりも若くて、「お母さん若くていいな」と言われる自慢のお母さんでした。今も孫ができて輝いているお母さん。わたしの何よりのお手本です。これからも元気で長生きしてね。

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卒園後、小学校入学前に病気で三ヶ月入院した時、母は毎日病院に来てくれました。1時間半かけて、毎日おやつをもってきてくれたこと、忘れません。たくさんの愛情をありがとう。

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幼い頃住んでいた家のそばにコスモス畑があり、母によく連れていってもらいました。泥だんごを作ったり、鬼ごっこをしたり、外でたくさん遊んでもらった記憶があります。 今年の夏に私も母になるので、自分が今までもらった愛情を我が子に思い切り注ぎたいです。

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毎年母と一緒に雛人形を飾るのをとても楽しみにしていました。 押入れから出して、ひとつひとつ飾っていく作業も嬉しく、2月になるともうそろそろだなと思って楽しみに過ごしていました。大人になり、雛人形を出す時間がなく、出さなくなりましたが、雛人形の季節になると母との楽しい記憶がよみがえります。

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阪神タイガースが三度の食事よりも好きな私の母の話ですが、2003年に星野監督時に優勝した秋の大阪パレードで、ほとんど徹夜で御堂筋の場所取りをしてパレードを二人で見たことが大変印象に残っています。また二人で優勝パレードを観れる日が来たらいいなと思います。

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母は私に学生時代から15年間毎日お弁当を作ってくれました。私が子供の時から大人になってもいつもお弁当に変わらず入っていたのが卵焼きです。母の卵焼きは甘い味が特徴で、そうお弁当を作ってもらわなくなった今でも、甘い卵焼きを食べると母を思い出します。

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2、3年前、母の日の少し前に些細なことで母と喧嘩をしてしまい、仲直りできずにいました。仲直りをするために、シャルロットケーキを作り、家の冷蔵庫にこっそり入れました。ケーキに気づいた母は、とても喜んでくれて、すぐに仲直りすることができました。

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子供の頃の話ですが、母の日に肩たたき券(20回分)お買い物券(10回分)などをプレゼントしたものです。社会人になってからは、お金で買えるものになりましたけど…笑 そして私も結婚し、子供ができ、私の子供の時と同じように子供も母の日に肩たたき券などをくれます。こうして親子世代受け継がれていく「母の日」は素敵なことだと思います。

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大学受験で少しピリピリしていた時、小さなことでお母さんと喧嘩してしまい、「お母さん嫌い!」と言ってしまいました。そのまま口をきかず、試験、合格発表の日となり、わたしが合格したとわかった時、「やっぱり自慢の娘や」と言ってくれて、その日仲直りしたことが今でも強く印象に残っています。今でも喧嘩することはありますが、これ以降、いつもその日のうちに仲直りし、いつも見守ってくれるお母さんに感謝しています。

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久しぶりにお母さんとお買い物に出かけた時に、せっかくだからということで二人でランチをしました。ゆったりできるカフェで注文したのが「鶏肉とブロッコリーのグラタンとエビとアボガドのガレット」です。のんびり話をしながら二人でシェアして美味しくいただきました。

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久しぶりに家に帰省した時、昔はにていないと思っていた母の笑顔がとても自分に似ていたことに気が付きました。 自分の娘も将来母親になった時、私と同じ気持ちになるのかなと母に話すと、だから何歳になっても鏡を見れば思い出せる、幸せでしょう?と笑った顔は私より輝いていました。

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小さい時に、手作りのお守りをプレゼントして、とても喜んでくれました。今でも財布に入れて持ち歩いてくれています。

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結婚し、お弁当を作る機会が増え気付いた母の愛情。中学校、高校と毎朝4時に起きてバランスよく種類豊富に作ってくれました。友達とのお弁当の時間に「いつもおかず多くてかわいいお弁当」と友達に褒められ自慢でした。作る立場になり、私が作ってもらったお弁当を作るのがどれだけ大変なのかよくわかったよ。毎日愛情込めて時間かけて作ってくれてありがとう。

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車のチューンナップ職人だった父とダートトライアル選手の母。胎教はエキゾーストノイズ、子供の頃の遊び場は父の工場でした。 父が廃業し、母も子育てに専念し始め、車との関わりが薄くなった現在ですが、車好きな二人の血を脈々と受け継いだ私たち子供世代も普通の車では満足しない性分を発揮し、それぞれがドライブの趣味を楽しんでいます。三つ子の魂百まで、ですね。

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21歳の時、当時の兄の留学先のカナダに初めて母と海外旅行!航空チケットのみをとり、いざカナダへ。二人ともドキドキでした。 フリーの旅行でしたので、海外での初めてのことや外国の方との交流もでき、とても思い出深い母との旅を今でも懐かしく、母ともよく話します。

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私は5歳年上の姉と4歳年上の兄がいますので、幼い頃は3人で母にお手伝いチケットなどを作って渡していたようです。内容は肩たたき券やお手伝いをなんでもする券など、誰でもができそうなことですが、母はとても嬉しかったようでいつも使うことなく大量に置いていたので、私たちは結局チケットを使ってもらえず、すねていたこともあったようでした。

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去年の母の日に、母が学生の頃から仲良しで今は沖縄に住んでいる友人と、学生の頃によく言っていた海に朝からでかけました。そこでカーネーションをプレゼントして、思い出話や私の小さいときの話をしたり、海の家でお茶をして、最後は海岸で夕日を見てすごしました。そのときの海はいつもの何倍もきれいでした。

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他界した母が生前ことあるごとにこの写真をながめていました。聞いてみると婚礼の日、独身最後の思い出にと一番お気に入りの着物で大好きだった実家の庭での一枚でした。このとき初めて母のお嫁入りの様々なことを聞きました。今でもその時の母のうれしそうに話す笑顔が忘れられません。そしてこの着物は、今では母の思い出と一緒に私が大切に受け継いでいます。

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今では亡き母との思い出の一枚ですが、母は肝臓がんでなくなりました。その闘病生活の頃、既に余命は宣告されていたので1日1日を大切にすごし、日々からだが動かなくなりながらも、よく出かけた万博公園で秋深まる紅葉を二人で見に行き、思い出話、これからの人生を語り合った日の1枚です。美しかった母が、笑うこともしんどそうだったのが、毎日を大切にしようと思えたときでした。

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小学校から中学校までピアノを習っていて、毎年、年に1回ピアノの発表会がありました。このときだけ普段しない化粧をして、少し大人になった気分になれるのがうれしかったです。いつもピアノ教室への送り迎えしてくれたこと、ありがとう。

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自分が働くようになってから初めて仕事と家事を両立させることに大変さを知りました。365日、毎日文句1つ言わず完璧に仕事と家事をしている母を見て、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとう。

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私の母との思い出は今も形として残るたくさんの母からの手紙です。幼いころからいろいろな節目のたびに母が私に向けて送ってくれる手紙は、時に私を元気付け、時に私の背中を押してくれる私の宝物です。

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小学校の入学式、新しい学校、新しい生活よりもお母さんとお揃いの服での入学式がうれしかったのを覚えています。あれから約20年。おそろいの服は着なくなったけど、今も変わらず私を大切にしてくれるお母さんが大好きです。いつか私もお母さんみたいなお母さんになれるといいな

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小さい頃かからバレーボールをしていました。毎朝お弁当を作ってくれて練習着もきれいに洗濯してくれて遠い試合会場に送り迎えをしてくれて、応援にもきてくれていました。どんなに帰りが遅くても待ってきてくれて朝が早くても文句も言わず美味しいお弁当も作って送り出してくれました。小さい頃からずっと続けてこられたのは、母の支えがあったからです。これからもしっかり感謝の気持ちを忘れず、そして親孝行できるように頑張りたいと思います。お母さんいつもありがとうございます!

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去年の母の日に、私と母とで神戸の北野ホテルに宿泊しました。部屋の写真を撮ったときに鏡に映る嬉しそうな母を見て私も幸せな気持ちになりました。お母さん、いつもありがとう。今年も一緒にどこかに行きたいな。

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小さい頃毎年夏になると母がマンションの子どもたちを誘ってビニールプールを出してくれていました。小さい頃から水が苦手で克服するためにも母が用意してくれたなんだと思います。お母さんありがとう

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管理栄養士の母は、働きながらいつも美味しい食事を作ってくれました。一緒に台所に立ち手伝うこともあったお陰で、基本的なことを色々教えてもらいました。今ではすごく身になっています。自分のやりたいことを見つけて、ヘアメイクの専門学校へ行きたいと相談したときも、あなたの好きなことをしなさいと後押ししてくれたことは、ずっと感謝しています。

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20代の頃、留学先から母に誕生日プレゼントを贈ったところ、バースデーカードを額縁に飾り、プレゼントしたエプロンを身に着けた母の写真が送られてきました。この前の月に、愛犬を亡くして元気がなかった母の、少し痩せた顔が切なくもありましたが、プレゼントに喜ぶ姿に安心したのを思い出します。

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昔の懐かしい写真を見つけました。学生の頃は、お母さんが忙しくても、私の色々な話を毎日聞いてくれました。今では仕事が忙しかったり帰る時間が遅くなったりで、顔を合わす時間が短くなりゆっくり話す時間が持てないことに改めて気付きました。今度ゆっくりお母さんと2人でご飯でも食べに行こうかなと思います。

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保育士をしている母はどんなに忙しい時でも、兄と私に手作りのお菓子を作ってくれました。当時は気付かなかったけれど、結婚し働く私にはそれが多忙な母にとってどんなに大変で心がこもっていたのかわかります。とても母に感謝しています。

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母は毎日三食の食事はもちろん、お菓子をいつも手作りしてくれました。ドーナツ、わらびもち、白玉だんご…そのなかでもおはぎは本当に美味しくて、今でもふと無性に母の作ったおはぎが食べたくなります。私が体が丈夫で健康でいられるのは、母の手作りのお菓子のお陰だと思っています。食事だけでなく、お洋服も手作りしてくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。お母さんありがとう!

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月に2~3回、朝の早い勤務がある母に代わって妹・弟を保育園に連れて行っていました。その分、早く帰ってきてくれてご馳走を沢山作ってくれたので、今ではすっかり食いしん坊です。いつも美味しいご飯を作ってくれてありがとう。

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洋服を作るのがとても上手なお母さん。私の小さい頃の洋服はほとんど手作りで、レースなどもついていてかわいくて、特にワンピースはお気に入りでよく着ていました!!今自分自身が母になってみて、育児の大変さを痛感。そんな中あんなに色んな服を作っていたお母さんはすごい☆と改めて尊敬しました。今は孫のための服をいっぱい作ってくれています!!いつも心のこもった手作りの服を本当にありがとう。

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一緒にいる時間が人より少し短かったけれど、母と過ごした日々は私の大切な思い出として残っています。家のあらゆるところに母の愛が溢れています。そんな家に生まれて私は幸せです。お母さん生んでくれてありがとう。

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最近実家に帰り、母と一緒にアルバムを見ました。写真と、その時々のコメントを大切に残してくれていたのが嬉しかったです。母の愛情を感じました。

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小さい頃よく母さんに遊びに連れていってもらったのですが、その中でも記憶に強く残っているのが、写真に写っている私といとことお母さんと3人で行った虫取りです。私もいとこも好奇心旺盛で生き物を見たり触ったりするのがすごく好きでした。袋にはカエルがたくさん入っています。

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七五三のときの写真で、この頃はまだ1歳だったけど立派なお雛様を出してくれたみたいです。母とこの写真を見るとこの頃は大変だったけどかわいかった、と言ってくれて嬉しかったです。私をここまで育ててもらって感謝しています。

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花が大好きで、いつも笑顔で迎えてくれる今年80歳になる母です。一度笑いすぎて、入れ歯が外れてみんなで大笑いしました。身体に気をつけて、いついつまでも元気ですごしてください!ありがとう!

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仕事をしているにもかかわらず、6年間毎日お弁当を作ってくれてありがとう

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いつも家に帰ると必ず夕食が置いてあります。公園で砂だらけになって遊んでいた幼い頃から社会人になった今も夕食が毎日の小さな楽しみです。私の生活は成長につれて変わったけど、母の愛情は変わらず安心するひと時です。ありがとう。

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いつも旅先では緊張からかうまく寝付ず、ぐずっている私に根気よく付き合って楽しい話をし続けてくれました。先日一緒に旅行に行った際、母の手帳からこの写真がでてきました。思い出として持ち歩いてくれているのが嬉しかったです。ありがとう。

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小さい頃はずっとお母さんにべったりだった私ですが、大人になり自分ひとりの力で生活がしてみたいと思い、25歳で家を出る宣言をしました。お母さんは泣きながら「家族は一緒に住むべきだ」と大反対でしたね。自分の家庭を持って始めてお母さんの気持ちに近づけたと思います。自分のことは後回しで365日毎日暖かくて美味しいご飯を準備してくれてありがとう。

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コスモスの花が好きな母が小さい頃から万博公園に毎年見に連れて行ってくれました。だんだん時間も合わず行けなくなってしまったので、今年はわたしから誘って一緒に見に行きたいと思います。

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改めて思い返すと、感動するような思い出のエピソードってないなあと。子供の頃は、本当にきびしくて、いつも怒られていたことしか記憶にないです。でも小さい時の写真を見ると、母や優しい笑顔を私に見せてくれていて、大切にされていたんだなあと嬉しくなりました。

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小さな漁師町に住んでいた時、娯楽といえば釣りくらいしかなく、母に連れて行ってもらったものです。ある時鯖が大量で、それはそれは楽しかったのですが、連日おかずが鯖づくしだったので閉口した覚えがあります。その息子も50歳となりました。

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小学、中学生時代は毎週日曜日に家族でいろんな場所へ出かけました。母が子供が喜びそうな場所をいろいろ考えてくれて、父の運転でいろんなことろへ遊びに来ました。おかげで学校の作文の時間には、出かけた内容を書くことができ、何を書こうか悩んだことはありませんでした。この写真の時も、帰りに池のほとりでかまきりの卵をみつけて持ち帰り、後日家の中で無数のかまきりの赤ちゃんがかえり、大騒動になったのが楽しい思い出です。

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足が痛い中、一緒に歩いた金毘羅さん。あれから28年…。 一緒に歩ける距離は短くなったけど、まだまだ大丈夫!私が支えるから、これからも一緒に歩こうね。お母さん、いつもありがとう!!

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3世代での初めてのディズニーランド。みんなでいっぱい遊んで、いっぱい笑って、最高の思い出になったね。そんな思い出をいつも作らせてくれるお母さん。ありがとう。感謝、感謝です!!

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社会人2年目の母の日に日頃の感謝を込めて、少しでも良いものを送りたくて、何が欲しいか母に尋ねました。母のリクエストで餅つき機をプレゼントしました、母は亡くなるまで毎年お正月やお彼岸に色々な味のお餅を私たち家族に振舞ってくれました。今でもお餅を食べる旅に、母の笑顔と美味しいお餅の味を思い出します。

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昔から食いしん坊だった兄妹だったけど、お母さんの料理が大好きです。こんなに年をとったけど、お母さんが作ってくれないとおいしくないおかずがいっぱいあります。これからもよろしくです。

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7年前に他界した母の思い出は数え切れません。その中でも印象に残っているのは、亡くなる2年ほど前に一緒に行ったヨーロッパお旅です。ドイツ、ロマンティック街道から入り、最後はフランスに行くという強行スケジュールの旅でした。70歳を過ぎていましたが、好奇心旺盛で元気な母でしたから、本当に満喫して楽しい旅となりました。パリの最後の夜はエッフェル搭のライトアップを見るため、ホテル最上階のバーラウンジに行きました、母はお酒も好きだったので、カクテルをいただきながら夜景を眺め、ツアーの皆さんと楽しそうに過ごしていました。その時の母の笑顔は一生忘れません。お母さん。今まで本当にたくさんの愛情をくださり、ありがとうございました。

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お母さん、毎日お弁当作ってくれてありがとう。

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私が嫁いで間がない頃、その日お義父さんと主人は仕事で毎晩遅くて、晩御飯がいらないので、お義母さんとわたしだけの食事でした。その時は、梅雨の頃で夕方から雨が降っていたようです。でも私が仕事帰りに駅に着いた時は雨が止んで空が明るくなっていました。駅の改札を出るとお義母さんが傘を持って待っててくださったんです。「傘持っていってるかわからなかったから」と。とても嬉しかったです。主人は一人息子なので、私を本当の娘のように接してくださいました。とても大切な思い出の一つです。

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旅行大好きだった父が亡くなって13年経ち、当時少々落ち込んでいた母を誘い出かけた東北4県。この写真は奥入瀬の散策コースでの一枚。晴れ女の母のおかげで全日快晴。初夏の少し汗ばむ陽気と緑の中の清々しい空気。わたしも母に元気をもらいました。

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うーん、実に65年前!今でも二人は達者!

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今から20年以上前、東京の美容関係の学校へ行くために、上京することになりました。「一人で行けるから大丈夫!」と言ったのに、心配した母は、一緒に新幹線で東京駅まで付いてきてくれました。そのあと一緒に食事をするわけでもなく、わたしを見送ったあと、その足で大阪へと帰っていきました。遠く離れた大阪から見守ってくれていると思うと、東京で頑張ることができました。あれから月日は流れ、今では休日に母と一緒に阪神でお買い物をして楽しい時間を過ごしています。一緒にいることで少しでも親孝行できたらいいなと思います。

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病気がちだった母。生前最後の母の日の一枚。花束を届けたお礼に、子供のような無邪気な笑顔の画像。

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昨年の夏頃、母とドリカムのライブに行ったんですが、母は生まれてから52年ライブに行ったことがなくすごく楽しみにしていたので、二人でお揃いの服を着てより一層ライブを楽しみました。後日母から一生忘れへん思い出になったよと言ってくれて、私も忘れられない思い出になりました。

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男5人兄弟をいつも笑顔で支えてくれた母。去年還暦を迎えました。兄弟みんなでサプライズプレゼントをしたところ、とても喜んでくれました。これからもよろしくお願いします。

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私は母がとっても大好きです!母はとても優しく、ケアをしてくれました。母に関するユニークなエピソードは、私が子供の頃、いつも日焼け止めをたくさん塗られたこと!オーストラリアでは日差しがとても強いのですが、日焼け止めを塗っている子供は当時学校で私一人で、顔はいつも"PikaPika"で白くて、とても嫌でした。でも、今オーストタリアでは皮膚ガンが深刻な問題になっているので、今となっては感謝しています。

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夏休みの自由研究、クラスの班のみんなを家に呼んで手伝ってくれたおけげで、賞がもらえました。いつも助けてくれてありがとう!

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小さい頃から編み物好きな母(お母ちゃん)が作ってくれた服をよく来ていました。たくさん作ってくれてありがとう。成長に合わせて手作りするものも変わり、40年以上経った今でもパッチワークで小物やバックなど作ってくれて毎日使っています。改めてありがとうを伝えたいです。

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初めて海に連れてきてもらった時の写真です。ご覧の通り、嫌がって海には入らず、ずっと浜辺であそんでいたようです。アルバムのこの写真の下には、父と浜辺で遊んでいる姿を写した写真があります。2枚の写真の裏には、母の字で'49.7.28と記入してありました。1歳7ヶ月、残念な海水浴だったようです。

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毎年雛人形の前で一緒に写真をとりました。写真は生まれて初めての時のものです。いまでも雛人形の前で、母とひなあられを食べたりお酒を飲んだり、楽しい行事になっています。これからもずっと続けていきたいです。

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裁縫が得意だった母。幼い頃(中学生くらい)着物、カバンに至るまで、姉妹お揃いで母の手づくりでした。今思えば、ありがたいことです。小学校に入った頃から、友達の着ている市販の服がうらやましかったことも…。何着かおいておけばよかったなあと思う、今日この頃です。

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15年ほど前、私が病気で入院していた時。仕事の帰りに病室へ通ってくれていた母とともに夕食を食べるのが楽しみでした。母が帰る時、病室からは母の乗った電車が見えるのですが、私から母の姿は見えません。でも母からは窓際に立った私の姿が見えるらしく…。毎回、手を振って電車が見えなくなるまで見送っていました。

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小さい頃からいろんなところに連れて行ってくれました。いま思うと、内気だった性格を見抜いてあえて連れ出して場慣れさせてくれていたのかも。おかげさまで今は人並みになっています。

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幼少の頃は自然に囲まれた山の中で男の子のように毎日泥だらけで遊んでいました。そのため母には女の子らしくしなさいとよく叱られていました。母は編み物が得意で手づくりのセーターをいつも着ていました。料理も上手でおやつは母手づくりのものをいつも食べていました。特にドーナツ、おはぎは今でも実家に帰ると作ってくれます。とても懐かしく、子供の頃を思い出します。

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隣にいると小さなことで口喧嘩していたあの頃。離れて暮らすようになると、母親のありがたさが身にしみるようになってきました。些細なことで喧嘩をしていたのに、他愛もないことで大爆笑。お腹を抱えて涙を流しながらバカみたいに笑ったね。これからもバカな母娘でいようね。いつもありがとう。

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私が小学生の時。結構やんちゃだったため、よく喧嘩とかしていました。喧嘩したことについてはあまり怒られませんでしたが、「うそ」をついた時に怒られました、(どっちが悪いとか、先に手を出したとか)それからはうそはダメだと認識しました。

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父の影響で中学生からラグビーをはじめました。当初、母は危険なスポーツということで反対され、「私は絶対に応援にいかないし、勝手にすれば」ということも言われました。しかし、本当は一番自分のことを応援してくれ、試合があれば必ず応援に駆けつけてくれ、大学生になるまで続きました。大学生の最後の試合で「ありがとう、私の青春の一つが終わった」と言われました。その一言がとても印象深く、未だに心に残っています。

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私は大学に入学してから一人暮らしをはじめました。私のことを心配した母は毎月食料品や生活品とともに、必ず手紙を添えて送ってくれました。手紙には「体調に気をつけて元気に過ごしてください」など体を気遣った文章が並んでいました。母からの手紙付きの配送は大学卒業まで続き、送られてきた当時の手紙は今でも私の引き出しの中で大切に保管しています。

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小学校低学年の頃の思い出。黒い「ポパイ」のロゴの入ったTシャツを母に頼み込んで買ってもらって、はしゃいでみんなに自慢していたら、小学校の担任の先生(男)にそれ「ポパイ(POPEYE)ちゃうで、ピープル(PEOPLE)やで」とつっこまれて、めちゃ恥ずかしい思いをしました。母はぱちもんを買ってきたのでした。

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5年ほど前、体調を崩して緊急入院することになりました。入院した日の夜、母が見舞いに来ました。実家(鳥取)にいるはずなのになぜ?そもそも母に入院することを伝えなかったのになぜ?後で聞くと、妻が気を利かせて連絡をしてくれていたとのこと。連絡のあと、すぐに大阪に向かったそうです。その時の会話は今でも忘れられません。私:「30過ぎのおとななんだから、そんなに急に見舞いにこんでいいのに」母:「いくつになっても子供は子供。これからもなんかあったらすぐ来るよ」母のありがたさが身にしみました。

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小学生だった頃の母の日にコーヒーが好きな母にマグカップをプレゼントしました。そのマグカップを今でも大切につかてくれています。

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私が中学3年生の時に他界しておりますが、小学校1年生からずっと入退院を繰り返していたため、特別これといったエピソードはありません。強いて言うならば、右側乳がんの手術をし、右手があがりづらくなったため、バトミントンを子供である私とするために、右利きにもかかわらず、左手を使い行ったことくらいです。

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子供の頃、父親が土日ともに仕事だったため、よく母と姉と阪神や阪急百貨店に買い物に連れて行ってもらいました。阪神百貨店では、タイガースショップで下敷きを買ってもらったり、地下ではマクドナルドやイカ焼きを3人で食べた思い出があります。昔から百貨店によく連れていってもらったので、百貨店に就職が決まった時、母親はとても喜んでくれました。

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高校入試の合格発表を一緒に見に行きましたね。見事に不合格。一瞬悲しい顔をしたあと、笑って僕のことを励ましてくれました。私立の高校、大学と進んで、金銭的に凄く苦労をかけてしまいました。

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写真はありませんが、父母が共働きで物心着いた頃から普段母が自宅にいない生活が当たり前でした。しかし友人の家では、学校から帰ると自宅で迎えてくれる様子を見て寂しい思いもしたものです。中学生になった頃、母が会社勤めをやめて専業主婦になり、帰宅すると母が自宅で迎えてくれる生活になって嬉しく思った記憶があります。男はみんなマザコンです。

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幼稚園のころ、オカンが美容院に行くのについて行ったら、なぜか僕もオカンと同じおばちゃんパーマをあてられた苦い思い出…。

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5年ほど前に母親が大病を患い入院しました。すでに嫁に出た妹が学生のころに買ってきた犬を入院中に私が預かりました。三ヶ月その老犬はとても元気にいました。その後母と父と犬のくらしが再開され、半年後その犬は無くなりました。犬も実は随分内臓が弱っていたのですが、母親の入院、退院を見届けるようにしてなくなったように思えてなりません。今でも母親はテレビでラブラドールレトリバーが映ると目頭が熱くなるそうです。

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出生体重が2500g。昔は未熟児と言われていますが、今では低出生体重児と呼ぶらしい。それが影響したのか、小さいころは年中病院通いらしかった。自分では記憶がありませんが。もともと出不精の母、私の病院通いが重なり、家族で遊びにでかけた写真が少なく、唯一とっていた写真。(宝塚ファミリーランド)自分が親になってつくづく思いますが、子供が病気になるのは本当気が滅入ります。きっと大変だったことと思います。ひとことでは言い尽くせないけど、「ありがとう」

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40年以上前の写真です。家族で天王寺動物園に行った帰りに通天閣で。見ての通り、母は洒落っ気のない人で、子供のころはそんな母がはずかしかったっけなあ。でも中身はとても女らしく、良妻賢母そのものな女性です。ありがとう。お母さん。

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子供の頃、病弱だったので母に背負われて病院によく行った記憶があります。車の免許もなく、家も山奥でしたので、毛布にくるまれて山道を背負って連れて行ってくれました。母の身長は150cmで小柄ですが、その時の母の背中は凄く大きく感じたことを今でも覚えています。

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2−3歳の頃、真夏に「凧揚げをしたい」と駄々をこね、無風の中母親の運転する自転車に乗り凧揚げをした。順調に凧は上がったが、あまりの嬉しさに自転車後部座席ではしゃぎすぎ、それに気を取られた母がハンドル操作をあやまり、田んぼの中に転落した。今でもその光景が思い出される。

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私の母親は、「昭和ひとけた生まれの田舎のおばちゃん、おばあちゃんで、ちょっとお茶目な優しい母親でした。2年前に亡くなり、遺品整理をしていたら、私が20代の頃の母の日に阪神百貨店で買った服が箱に入ったままの状態で出てきました。サイズがあわなかったのか、もったいなかったのか、着た様子もなくタンスの奥にしまわれていました。元気な頃の母を思い出し、少し切なくなりました。

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ある時母を連れて二人で海外旅行をしました。はじめての二人旅。終始楽しそうにしている母を見て、私は嬉しく思いました。まるで少女のような無邪気な笑顔を見せる母を見ていると、一緒に旅行できてよかった、親孝行できたと自分なりに感じることができました。いつもあまり喧嘩もしないし、仲良しですが、さらに仲良くなれた気がしました。これからも母を大切にしたいです。

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受験当日も、冷戦時代も20年間変わらなかった「いってらっしゃい」がこれから聞けなくなるのが少し寂しいです。

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父方の祖母と同居していたため、嫁姑問題があったんでしょうね。よく何もわからない僕を自転車の後ろに乗せて泣きながら行き先も決めずに走っていたことを覚えています。

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箕面スパーガーデン、有馬ヘルスセンター、そして写真は宝塚ヘルスセンター(のちの宝塚大温泉)と、温泉巡りによく連れていってもらった。今でいうスーパー銭湯やクアハウスが大好きなのは、この頃がとても楽しかったからでしょうか。歌謡ショー、マジックショー、踊り、アニメ映画、漫才などステージではさまざまな催しがありましたが、私はゲームセンター内にあったこの電気で動く乗り物に乗るのがとても楽しみでした。母は今82歳。走って横断歩道を渡ります。

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昭和40年頃、大阪城公園で家族でお花見に行ったときの写真です。授業参観では、髪をセットし着物姿で来ていました。いつもきれいでなんでも出来る母がとても自慢でした。今は博多で入院中なので、早く元気になってほしいです。

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高校1年性のとき、近所のホームセンターではじめてアルバイトをしました。半年たったころ、母の誕生日に少しづつ貯めたお金で財布をプレゼントしました。当時の私にとっては少し高額でしたが、母がちょうどほしがっていたものでしたし、日頃の感謝を込めて手紙と一緒にプレゼントしました。あれから何年も経ちますが、今もまだ使ってくれています。大切にしてくれている母に感謝します。

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私の母は専業主婦で、食事のこと、教育のことなどなんでも忙しい父の代わりにこなし、特にお洋服はほとんど作ってくれていました。緑色のドレスは私のお気に入りのようで、アルバムのコメントに「しのぶお気に入りのドレスです」と書いていました。小学生や中学生に成長するととtもに、そんな母がつくった洋服を着るのが恥ずかしく「こんなん着られへん!」と反抗し、それから手作りの服を着ることはありませんでした。しかし自分が母になり、娘に服を作って着せていたことを思い出し、今とても反省しています。「お母さん、ごめんね、ありがとう」と伝えたいです。

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気性の激しいお母さんで、急に走り出して先に家に入り鍵を閉めたり、、、。中学校のお弁当のおかずを残すと同じものが一週間入っていたり、、。いろいろ戦いはありましたが、今では穏やかになって孫と遊んでくれています。いつもありがとう。

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妻が子供(5歳)を自転車に乗せて出かけている様子を見て、自分も幼稚園に送り迎えで母親の自転車の後ろに乗って通っていたのを思い出します。

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仕事が忙しい父に代わって、よく遊びに連れて行ってくれました。小学校3年生くらいの夏に、兄と妹と4人で六甲山牧場へ行ったとき、帰りのバス停が混んでいたので、1本やりすごしたら六甲山マラソンで最終バスだったということが分かり、ケーブル乗り場まで半裸で歩いたことを思い出しました。暑くて、子供3人連れで大変やったやろーなー。

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中学高校6年間毎日お弁当をつくってもらいました。そのお弁当が友人に評判が良く、嬉しかったことを覚えています。

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年末に正月用の食材の買い出しに田舎から2時間かけて梅田の阪急、阪神両百貨店に出てきていたのを子供ながらに覚えています。当時人ごみの中で疲れてもお出かけが出来る楽しさが勝っていました。最後に、イカ焼きは必ず買って帰った思い出の味です。

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入学式の時お祝いしてくれて、上靴入れとサブバッグを手作りしてくれました。

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“可愛らしく見られたい”という親心で、いつも愛情を込めて洋服を手作りしてくれていました。その洋服を着てお出かけするのがすごく嬉しかったのを覚えています。

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大好きなママと「ひらかたパーク」へ。遊園地へはいつもママと一緒!ひらかたパーク、また行きたいなあ。一応カーネーションの絵です。

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実家から送ってくる荷物はいつもこんな感じです。ニンジン、玉ねぎ、りんご、洗剤。こっちでも売ってるよって言いたいけど、「家にあるものばかり入れたから」って嬉しそうに話してくれる。お母さんいつもありがとう。お母さんの娘でよかったよ!

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仕事柄、食生活のリズムが変則的な私に、何も言わずそっとテーブルの上に置いてくれてあるおにぎり。いつも私の事を考えてくれているお母さん。心配かけてごめんなさい。色々なおにぎりがあるけれど、一番おいしいです。私は幸せな娘です。お母さん、いつもありがとう。

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先日、実家へ電話をすると父が、「お母さんかと思った」と一言。趣味の旅行や美術館めぐり、山登りはお母さん譲り。自分でも本当に似てきたなあと思います。私が小さい頃はよく美術館に連れて行ってくれましたね。子供だった私はあの静かな空間が心地よくなく、あまり楽しめなかったけど、今はあの空間がとっても居心地よく感じます。私に色々な世界を見せようと、仕事を持ちながらもお休みには出かけてくれてありがとう。今度は私が連れて行ってあげるね。

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楽しかった時間・・・私がまだ漢字を知らぬとき、難しい本を一緒になぞって読んでくれたとき。愛おしい思い出・・・あなたと同じくらいの身長になった頃、喧嘩して二人で炬燵の周りをぐるぐる追いかけっこしたこと。お母さん、お母さんから譲り受けた律儀さと真面目な気質。ありがと。

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理由は分からないけど、母が着ている写真の水玉のブラウスが大好きでした。いろんな場所に遊びに連れて行ってくれてありがとう。

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初めて包丁を使って緊張している。お母さんに「指を切らないようにグーにしなさい」と言われて、包丁を持っていない手にも力が入っています。

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「ハイ、チーズ!」のタイミングがいつも分からず、目をつぶった写真ばかりのお母さん(笑)唯一、ちゃんと目を開けている写真です!ブーブーを乗り回していた私は、大きくなった今も車を乗り回すのが大好きです(笑)

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20年前に母より、「北海道に5万円でいけるツアーが当たったから、一緒に行かない?」と誘われてノリノリで行きましたが、安いだけあってラベンダー畑は全く咲いていなくて、土だけを眺めていた思い出があります。でも母は楽しかったのか、ラベンダーを見る度に、「ベランダーや!」と張り切っていっていました。

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お出かけして、神戸に行くときは通り道の花隅公園で遊んでもらいました。ボール遊びが好きで、今でもサッカーが好きなのは、この時の記憶があるから、かもしれません。

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毎晩、寝る前にしてくれた「読み聞かせ」結婚する前は幼稚園の先生をしていただけあって、本当に上手で、まるで目の前にその絵本の世界が広がっているかのようでした。お気に入りの絵本は今でもよく覚えています。

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末っ子の私はどこに行くのもいつも母親と一緒で、甘えてばかりでした。優しい母が大好きです。生後数ヶ月のときに、母に抱かれた私の写真です。

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写真は叔父宅で両親と2歳の私です。体の弱かった私をよく病院に連れて行ったそうです。写真のように今でも笑顔いっぱいの母親です。これからも沢山の親孝行をしていきます。

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「海外に留学に行く」と突然、母に言いました。今まで家を出たことがない私が…と母は驚きましたが、応援してくれました。出発の当日、関西空港まで送ってもらったのですが、母はとても寂しそうな顔をしていました。母は、「まあ、頑張ってき」と言いながら涙をぽろぽろ流していました。ゲートに入った後、私は今までの母との写真を動画にして母の携帯に送りました。とても喜んでくれました。

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この写真は2歳ごろのものです。その頃両親が父の実家の商売を手伝っていました。私はよく風邪をひいたりして寝込んでいたようで、今にも死にそうな声を出していたと、後から笑い話聞きました。その時のことはあまり覚えていませんが、母が仕事の合間に私が寝ているところに玉子入りのお粥を持ってきてくれて嬉しかったことだけ印象に残っています。

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小さい時は、常に弟とお揃いの服を作ってもらいました。小学校に上がってから、母の手作りの服が嫌で嫌で…。しかしこの前、大学院の修了式に着る服を作ってほしいと私から母に頼みました。母が作った服で、自慢げに修了式に出席しました。お母ちゃん、本当に今までありがとう。

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76歳になる義理の母ですが、50年以上も前に阪神百貨店の手芸用品で取引先販売員として働いていたそうです。阪神百貨店の屋上で撮った写真を見せてもらったときは、嫁になったころの自分の年頃に近い義母の姿がそこに写っていました。半世紀もの月日が流れ、自分がまた同じ百貨店に勤めているという不思議な運命を感じました。

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母子共に安室ちゃんが大好きで、一緒にライブに行くこともあります。母は60歳を超えていますが、ライブの時は私や他の若い子達と同じようにノリノリで「今、目があったー!」とよくはしゃいでいます。そんな母を見ると嬉しくなります。

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私がまだ幼少期の頃、父が外国航路の船舶に乗務していたため、横浜や神戸に帰港したとき、面会のために、まだ若かった母は私を連れて行きつかの間の休日を家族で楽しんだものです。母も80歳を越え、今は私がアッシー君になりました。父も亡くなった今、少しでも長生きしてもらえるよう、親孝行したいと思っています。

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家族で天王寺動物園に行った時の写真です。兄がブレザーを着せてもらっています。当時は大阪へお出かけする時はおしゃれさせてもらってたんでしょうね。

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箕面の滝。お出かけの時は、いつも母のお弁当が楽しみで、すぐにお弁当まだ?と聞いていました。大きなおにぎりと、甘い玉子焼き、今でも大好きです。

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退院した日の写真です。半世紀お世話になっています。

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共働きで日ごろから倹約していたので、洋服はいつも知り合いのお兄ちゃんからもらったお下がりばかり着せられていました。川崎市の叔母宅への訪問をかねた東京観光ではさすがに一張羅を着せられました。

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サルから逃げようとする私を左腕一本でがっちりとロックする母… 40年近く経った今も、母の強さと優しさは健在です。これからも”強い母”でいてください。

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2016年1月にバリ島に行ってきました。2人でゆったり過ごせた思い出です。

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私が小学3年生の時に、母に花柄のハンカチをプレゼントした思い出です。当時、私のお小遣いは月に300円でした。学校帰りに友人と駄菓子や文房具を買ったりして毎月楽しんでいたのですが、5月は母の日にプレゼントを買うために貯金をして、近くのお店でお母さんの好きなお花柄のハンカチを手紙と一緒にプレゼントしました。先日家族で食事に行ったときにお手洗いで使ってくれているのを見てとっても嬉しかったです。

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小学生の時、町に新設されたスポーツ公園の名前募集があり、学年全員で応募することになりました。母に相談して、アドバイスしてもらった結果、その名前が当選して、表彰されることになりました。20年程経った今も、スポーツ公園の名前を聞くと、その時のことを思い出します。

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先日、母が私が小学生のときに初めて母の日にプレゼントしたカーネーションの造花の花束を見せてくれました。思いつきで何気なく買ったのもだけれど、大切に保管してくれていたことがとても嬉しかったです。今年の母の日のプレゼントを考えるのがもっと楽しみになりました。

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息子と2人で写真を撮る機会は大きくなってめっきり減りました。大きな節目の時だけでもと、写真を撮りました。長男の中学・高校の入学式の写真を振り返りつくづく健康で大きく育ってくれたなあと実感しました。

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いつも仕事で忙しかったお母さんですが、私たち姉妹のためにいつも、美味しいご飯を作ってくれました。私もそんなパワフルなお母さんみたいになりたいです!!

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社会人1年目の母の日に、母の大好きな嵐のコンサートDVDをプレゼントしました。とても喜んでくれて、それから我が家の母の日は嵐のコンサートを見ながら家族全員で一緒に歌って踊る日になりました。これからも、そんな面白いお母さんでいてね。そして、本当のコンサート、今年こそ見に行こうね。

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週末になるとよくお弁当を持って近所の公園へ遊びに行きました。母がいつもおにぎりをにぎってくれて、大好きな玉子焼きも入れてくれて、好きなものばかり入ったお弁当でした。今でもたまに作ってくれるお弁当を食べると、よく遊びに行ったときの楽しかったことを思い出します。

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小さい頃、いろんな場所に連れて行ってくれてありがとう。母子家庭で辛い思いも我慢もいっぱいして大変だったけども、その何倍も楽しいことがあって、お母さんの娘でよかったなと今になって思っています。いつも、本当にありがとう。

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毎朝、駅まで車で送ってもらい、終電で寝過ごした時も、車で迎えに来てくれました。大切に育ててくれてありがとう。結婚式の日もお色直し退場のエスコートありがとう。これからは私がお母さんをエスコートするからね。

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全く記憶がないのですが、動物園に行くと機嫌がとてもよかったらしく、毎週のように連れて行ってもらったそうです。

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この写真は、「お母さんの宝物なんだよ」って言ってたね。小さい頃からいろいろなところに遊びにつれていってくれて、そして家族のために笑顔でありがとう。

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